ノーマルでニュートラルな三天才考察を目指して 081027 授業のレジュメ作りが進まずにむしゃくしゃしてB5用紙にシャーペンで書き始めたら止まらなくなった俺を笑ってくれ。藤原だけやたら長いのは仕様。あいつ推理必須なんだもん…。 ■ 丸藤 亮 翔の兄であり、吹雪不在の間の明日香の兄代わり。十代を始めとする後輩陣にデュエリストとして完璧な手本を示す、圧倒的な父性の持ち主。彼のパーフェクトさは「大人の使命を持つ子ども」という矛盾から発生していたように思う。彼は完璧に「大人として振舞って」いた。それは多分不自然なのだ。それが翔の「完璧すぎる兄に感じる距離」にも現れている。そして卒業して一人の人間となったとき、教え導かねばならない者という逆説的な支えを失い、彼は初めて自分もまだ子どもであったことに気づいたとは言えないだろうか。そして「大人として振舞う」ことができなくなり、本当に大人になるために子どもとしてもがくことになったのではないだろうか。 いい子が危ないなんてよく言ったもんである。子どもは無理を無理と感知しない健気な存在なのである。亮はそのバーチャルな体現者なのかもしれない。それでもがんばりきった亮に拍手! ■ 天上院 吹雪 当初失踪している明日香の兄。亮の親友でライバルという事実を翔に疑われるほど破天荒な人。しかし彼のトンデモ行動は普段大人びていた亮が年相応の顔をしたほとんど唯一の機会であり、亮ほど極端ではないにしろ明日香にも同じことが言える。彼は二人にとって、紛れもなく「リラックスできる」貴重な存在なのだ。そしてまた、必要なときには正しく明日香を叱咤激励できる人であり、その点最高の兄と言えるかもしれない。 親友二人の変貌に際し、「キミはキミ」という素朴な真実を根拠に、あくまで親友として対応したすごい人。そんな彼がTF3でデュエリスト1になれなかったのは、他人の問題にサポートで絡んでいくことの多い彼のメインイベントは全部誰かのストーリー上外せなくなってしまって彼用ルートが作れるほど残らなかったからだと信じてる。カイザールートは吹雪視点より亮視点のほうが明らかに面白いし(笑) ■ 藤原 優介 三年半のラスト半年で流星のごとく現れた最後の天才。不動の双璧と思われた亮と吹雪の間にあっさりと割り込んだ。これは前述の二人の間に、三年目までの展開でかなり大人になって必然的にストーリーに絡みにくくなった亮(GXはあくまで子どもが主役である。十代への「お前はもう子どもじゃない」は、正直おまじないみたいな効力を持つセリフなのではないだろうか。言うなれば「痛いの痛いのとんでけー!」痛いもんは痛い)と、依然として子どもでありダークネスという未解決の問題を抱えたままの吹雪というアンバランスさが生じていたために可能になった事態であると思われる。そのせいか藤原は三人の中で一番子どもっぽい。そして一人っ子である。兄属性を持つ二人が「孤高」と評される彼のフォロー役であったことは想像に難くない。だがあれだけ友達の写真を撮っておいて孤高も何もないと思うのだが。 いかんせん彼には謎が多い。幼い頃、おそらくは「突然に」起きた両親の死によって、絆(あるいはむしろ存在そのもの)の永遠性が絶対でないことを思い知らされ、深い絶望が彼に巣食うことになる。それに完全に支配されることを食い止めたのは精霊オネストだと思われるが、「通常の人間に見えない」ことがオネストの弱点だったのではないだろうか。藤原の支えは普通には藤原の妄想になってしまうのだ。デュエルはそのオネストが限りなく実在に近づける場であり、それを通してできた友人達も、大切な存在には違いなかっただろう。しかし、そうなればなるほど彼に巣食った絶望は力を増してゆく。「どんなに大切なものもいずれなくなる」のだ。ダークネスの研究にのめりこんだのは必然と言えるが、決定的に彼をダークネスへと向かわせたのは、実験的に描いていた魔法陣に偶然落ちた自分の血―要するに、事故でダークネスにシンクロするチャンネルが開いてしまったことなのだろう。あれが無ければ、逆に友達(というか吹雪)とオネストが彼を救うことも可能だったかもしれない。それもダークネスへ向かうかどうかの瀬戸際には違いないだろうから、次元の歪みによるダークネスの侵攻は、ひょっとしたら吹雪とオネストにとって藤原を救うセカンドチャンスだったのかもしれない。 この説明では彼が記憶に固執した理由、特に「忘れないで」が分からないのだが、自分が忘れたら相手も忘れるというような構造なんだろうか。小さすぎて両親のことなんかまともに覚えてなさそうだし。だから両親はどう死んだんだ!三人の写真で藤原が泣いてるのは何故なんだ!気になる(笑) |