TURN-137 翔の決意!「友情の証」
■本放送:07/05/23
■脚本:植田浩二
■絵コンテ:中村憲由■演出:Lee Kyoung Soo■作画監督:Park Chi Man
書き方模索中。
盛大に他の話と絡めて考察してます。

■Bパート

(亮が翔&おジャマイエローと合流)

おジャマイエロー:…そのとき意識を失っちゃったから、
         それからのことは、覚えてないのよ。
         でも、他のみんなも…。
         だって、翔のダンナも怒ってたわよ、
         あんな奴、アニキじゃない!って。
       亮:とうとう、子どものままで終わるのか、十代。
おジャマイエロー:え?


「子どものままで終わる」ってどういう意味なんだろう…。
TURN-131・TURN-148作ったら追記するかも。
ストーリー上だとTURN-113〜119とTURN-156も関係してくるかな?

       翔:アニキ…。
おジャマイエロー:あ、寝言でお兄さんのこと、呼んでるわ。
       亮:翔は、オレのことを、アニキとは呼ばない。
おジャマイエロー:え?


おジャマイエローの戸惑いっぷりが亮と翔の関係の不思議さを物語る(笑)
アニキとお兄さんと言えば、TURN-8とTURN-51・52ですね。

(翔の見る夢・過去回想)

十代:良かったなぁ、翔!退院できたんだって?
 翔:あ、アニキ。
十代:あれ?元気ねぇじゃん。
   まだカイザーとのデュエルのときの傷、痛むのか?
 翔:ううん、そっちはもう大丈夫。
   ただ、負けちゃったから…。
十代:なんだ、まだそんなことで、くよくよしてたのかよ。
 翔:え…。
十代:お前のリスペクトデュエルは、カイザーより上だったぜ。
   オレが保証する!だから元気出せよ。
 翔:ありがとう。


十代のセリフに着目すると、ここまでは完全に「デュエリスト」の会話になっています。
そして、落ち込んでいる本当の理由は、デュエリストとしてデュエルに負けたことではないんだ、と翔は説明することになります。

 翔:でも、お兄さんを元通りにすることは、できなかった。
   ボク、これからどうすればいいんだろう。
   ねぇ、アニキならどうする?
   もし自分の大切な人が悪に染まっちゃって、
   元に戻せないとしたら…。
十代:見てるしかねーな。
 翔:えっ?
十代:例えそいつが、どんなに変わったって、
   大切な人なんだろ?
   オレだったら、ずっとずーっと見守ってる。
 翔:えっ、でもそれじゃあ…。
十代:ああ、どうにもならないかもしれない。
 翔:………。
十代:…でも。
   何かせずにはいられない。
   だから、オレだったら、最後の最後まで、
   そいつが嫌がったって、見守っているだろうなぁ。
   それが、そいつを大切に思っているっていう、
   証だと思うから。


この夢、翔の落ち込み具合とか、十代の静かな中にも確かな優しさを感じる声とか、KENNさんも鈴木真仁さんもすごくいい仕事してくれてます…!

デュエリストとして亮と闘った翔が、デュエルに託していたもの。
それはまさに、亮がデュエルに「入る余地は無い」と言い切った「感情」でした。
TURN-96で翔が退院してないので、これはTURN-96の後の話なんでしょうね。
後付というよりは、3期につながってくる話な以上後出し以外やりようがないと考えていい気がします。いやまぁ、ただの後出しかもしれませんけど(笑)

で、ここで気になるのは、十代は「大切な人」で誰を想定してるのか?ってこと。
「自分だったら」という言葉で相手に共感してもらおうと思ったら、相手が思い浮かべる「大切な人」と同等の、「自分にとって大切な人」を想定できないと無理だと思うんですよ。(演技指導レベルの話じゃないかとか言ってはいけない・笑)
で、タイミング的には万丈目と明日香は既に脱ホワイトで元に戻ってます。
そして、TURN-89でもTURN-95でも、十代の視線を見ている限り、亮に対して思うところが無いわけじゃないんだろうに、十代は亮を見つめるだけで、亮に直接話しかけることは一切しませんでした。(何も言葉にできなかったに一票)
そんなわけで、十代が具体的に想定している「大切な人」は、翔と同じく亮と考えるのが一番妥当な気がするのですよ。
いや、考えるまでもなく亮のことだろうと言われればそれまでですが、このシーンで「十代は本当に亮のことが大切なんだなぁ」という感想は、さすがにというか見たことがないので(笑)タイムスリップして亮十/十亮サイト漁れば別かも知れませんが
あと、この十代の考え方は、ユベルとも絡んでくるんだろうなと思います。
詳しくはTURN-153でというところでしょうか。十代がユベルを忘れない間は、ユベルは十代の愛を感じていたという話。

(翔の目が覚める)

亮:十代の夢を、見ていたのか。
翔:…お兄さん。
イ:え?ええ?えええ?
亮:翔。かつてオレに、デュエルを挑んできたことがあったな。
  ヘルカイザーとなったオレを、地獄から連れ戻すと。
翔:っ!
 (TURN-95回想)
亮:だが今は、十代の元から逃げ出そうとしている。
翔:…!(目を見開く)
亮:それは、心にぽっかりと空いた隙間が、
  オレのときより、遥かに大きいということだ。


大切な人が悪に染まってしまった(ように見える)とき、亮のときも十代のときも、翔は本人に直接「おかしい」「なんで?」を全力でぶつけます。
違うのは、亮に対してはそれによって亮が「元に戻る」と思っていたこと、十代に対しては、徹底的な否定に走ったということ。
亮に対して、翔はあくまで「リスペクトデュエル」で向かっていきました。これは、翔が亮に「元に戻ってほしい」と思いながらも、同時に「亮の言い分」をきちんと聞くつもりで向かっていったということです。それに対して、十代には反論の余地を与えず、ただ自分の感情だけをぶつけた。
これは翔が、精神的に、亮からは独立していたけど十代には依存していた、ということを意味します。つまり翔は、亮の変貌には耐えられても、十代の変貌には耐えられなかった、だからこそ、反論を聞こうとするだけの余裕が持てなかった、ということです。

 (立ち上がる亮)
翔:お兄さん…。
 (立ち止まる)
翔:ボク…ボクはどうすれば…。
  兄さん…!兄さん…。

 (翔の傍にしゃがむ)
亮:お前自身が、もう決めている。
翔:…っ、うっ…う…(号泣)
イ:翔のダンナぁ〜!!(涙)
 (亮、立ち去る)
翔:兄さん!
 (亮が去った後にデュエルディスクが残されている)
翔:…あっ…ボクのデュエルディスク…。
 (涙をぬぐい、覚悟のこもったまなざしでディスクを見つめる)


翔は十代と友達になったときから、亮への「依存」が徐々に消え始めていたんだと思います。それはTURN-32で、「駄目だ、お兄さん!」と亮を制止する言葉=反抗に当たる言葉を、きっぱり言えていることからも見て取れます。
けれど今度は、亮へのコンプレックスを払拭していくきっかけになった、十代に依存することになってしまった。
これは、翔が弱いとか亮と十代が強いとかじゃなくて、人っていうのはそういう風に関わりを変えながら成長していくってことなんだと思います。1期の亮や3期までの十代も、依存「してくれる人」に「依存している」ような節があるので。
亮が変わってしまったとき、翔には十代という支えがあった。それなら、十代が変わってしまったら―?という構造になっているんだと思います。
そして、その答えは、「誰に依存しなくても、もう自分の力で立てる」

亮の言葉は、あくまでそれを「教えた」だけです。翔を「支えた」わけではありません。
けれど同時に、亮が初めて、翔から積極的に必要とされた場面だったことも確かです。亮がしたのは、一歩踏み出すために肩を押す、という、一瞬の手助けです。これは、亮と闘いたい翔に、「今なら闘える」と言ったときの十代と同じです。この「一瞬の手助け」が、多分「兄」の役目なんだと思います。
亮は、TURN-8で「いいアニキを持ったな、翔は」と言ったときに、はっきり気づいていたんだと思います。翔にはもう、十代さえいれば、自分は必要ないだろうということに。
そして今、翔は十代との分岐点に立って、自分一人で道を選んだ。
そのとき初めて、本来の形で「兄としての亮」を必要とすることになった。
TURN-8で、十代が「翔の兄」として亮に認められたことで、「兄弟」という形を「十代と翔」へと半ば委託していた「亮と翔」の絆が、実に129話、2年半越しで、完全な姿を取り戻したというところでしょう。壮大すぎる。
逆に言えば、「亮と翔」から「兄弟」の形を借りることで、その親密さにボーナスをもらっていた「十代と翔」の絆が、純粋な「友達」あるいは「仲間」になろうとしている、ということでもあります。

今更ですが、「イ」は「おジャマイエロー」の「イ」(…)
どうでもいいけど、お兄さんのデュエルディスクの置いて行き方が、マリオカートで亀のこうらを置いていく後姿を髣髴とさせた(…)
あのシーン、構図のせいなのか何やってるか分かりにくかったけど、よく見たら微笑ましすぎて笑った。目の前でプレゼントを置いていくサンタさんのようだ(え)

(亮がエドと合流)

エド:見つかったのか?翔は。
 亮:ああ。
エド:無事だったのか!
 亮:ああ。
エド:いいのか?一人で放っておいて。…おい!
  (亮の心臓に異変)
 亮:(もう時間が無い…オレにはまだ、
    やらねばならないことがある。)
エド:待てよ、…亮!


端折っても良かったけどやっぱり気になるダークヒーローズ。
亮は「翔を探しに行く」って言ってエドと別れたってことですよね。
その割に一人で帰ってきたわけですが、前述の通り、亮は「翔は一人で大丈夫」だと確認してるので問題ありません。
素っ気無いのは体調悪いからですかね。それとも実は万丈目たちの死に動揺してるの隠してるとかなのか…どっちもなのか。
へこたれてる翔の前ではもちろん、エドの前でも弱いとこ見せる気はなさそうだ…。
…まさか急いで(?)帰ってきたの、今は翔よりエドのほうが一人にするのが心配だからとかじゃないだろうな…。エドは翔より年下だし、大人びてはいるけど「健気に頑張ってる子ども」という印象も無くはないです。…どんだけ保父さんやねん!(笑)

(危険地帯に自ら進もうとする翔、
 止めようとするけど聞いてくれないので
 ついていくおジャマイエロー)

翔:(兄さんの言う通りだ。
   遊城十代との出会いを消すことはできない。
   ボクの人生にとって、
   最も大切な出会いだったんだから。

   …もううろたえたりはしない。
   どんな風に変わろうと、
   最後の最後まで、
   しっかりとこの目で見届けてやる。
   それが、ボクの友情の証だ。)


この話以降、3期は鈴木さんがしゃべる度に褒め称えたくなると思うので、次回以降の感想を書くときは控えます…から言わせてください、ほんと鈴木さんの演技最高(笑)

「兄さんの言う通り」は、考えるまでもないと言えばないのですが、「心に空いた隙間がオレのときより遥かに大きい」というところでしょう。それが多分、過去の十代の言葉とも融合されて、「十代との出会いは、人生で最も大切な出会い」(だから、喪失感が大きすぎてそこから逃げようとした)になるわけです。
翔語に翻訳されすぎてて、ちょっと分かりにくいです(苦笑)
そこは表現の限界とでも言うのか、GXがセリフや言語のレベルで「リアルな描写」を心がけてるからなのかな?という気がするんですが…過大評価かなぁ(笑)
「自分の言葉」に変換できるっていうのは、「他人の言葉を鵜呑みにしていない」=「『他人の教え』を消化して『自分の考え』に昇華できている」証拠なのですよ。洒落が言いたかったわけじゃないんですがこの二つの単語が同じ音なのはむしろ神秘かとか思ってるもので。一歩間違えば捻じ曲がることも確かにあるんですが、それでも必要な作業です。
あと「出会い」って言葉はどっかでオブライエンも使ってましたね。間違った出会いもあるとか今度は正しく会おうとかなんとか。(追記:TURN-117でした)

ここで翔は、十代のことをフルネームで呼び捨てにします。
今回何度か「依存」って言葉を使いましたが、これは「精神的に相手を自分の分身として捉える」、もっと言えば「相手と自分を同一視しようとする」状態のつもりで使っています。
だから翔は、「自分とは違う人間を指し示す記号」として、十代の「名前」を強調することになるんだと思います。
「アニキ(初期)」=「もう一人のボク」(≒「お兄さん」)
「遊城十代」=「名も無きファラオ」(≒「ヘルカイザー」)
「アニキ(後期)」=「もう一人のボク(アテム)」(≒「兄さん」)
ってとこですかねー。
こう変換すると、無印でなんでドーマ編やりたかったのかが分かるような…気が…。

■次回予告

翔とジムのすれ違いっぷりがすごいです。

ジム:十代、カレンといとも簡単にフレンドになった十代。
   一体どこにいるんだ!
 翔:あいつは、万丈目くんたちを犠牲にしてしまった。
ジム:But、それは十代のせいじゃない!
 翔:次は誰が…。
ジム:今は闘う気力も残っていないだろう。
   早く見つけ出さなければ!
 翔:次回、「覇王降臨・死の決闘者(デュエリスト)たち」
ジム:オレは感じる…。
   マイフレンド、十代が助けを求めていると!


翔が予言者と化してますね!
まさかの傍観者とか当時は思ってたわけですが、改めて見てみると…奥が深いです。
ジムが言う「十代」は、本来の心だけを指し示す言葉、翔が言う「あいつ」は、覇王の魂まで含めた「遊城十代」まるごと全部を指し示す言葉です。
ずっと十代と一緒にいた翔だからこそ、十代の中にも悪が眠っていること―「覇王」が確かに「遊城十代」の一部だということを、誰より先に直観しているのかもしれません。それが分かったからこそ、翔は「覇王(=十代の力)の生み出す犠牲」にならずに済んだ。
「悪」を十代の一部と直観した翔の冷たい態度は、確かに十代を追い詰め、十代が「覇王」と化す決定打になりました。傍観者として翔の見ている前で、「覇王」は次々と犠牲を広げていきました。
けれど、ブロンを倒した時点で十代が自己欺瞞に陥っていた(自分の悲しみが大きすぎて受け止めきれていなかった)のは確かで、翔はそれを翔の立場から指摘しただけ(邪心経典の効果で悪意に満ちてはいましたが)です。そして、翔がいくら「危ない」と思おうと、危険を顧みず闘う道を自分の意志で選ぶジム、オブライエン、エド、そして亮を、翔に止めることはできません。
「見届ける」ことを選んだ翔は、アカデミアの生徒の中で唯一完全な「十代のせいで仲間を失った十代の仲間」かつ「十代の犠牲にならなかった十代の仲間」です。
それは十代にとって、確かに必要なピースだっただろうと思うのですが…さて。

…ところでちょっとした疑問、次回予告を担当してる脚本さんって、「今回」の人なのか「次回」の人なのか。普通に考えて、中身書いた本人のほうが予告は書き易いわけだが。

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