自分が亮を裏切って吹雪を傷つけたことなんて、知っていたはずだった。
 だけど亮が告げたのは、それが思い違いだったということ。
 亮は傷つきながら吹雪を思う。
 吹雪は傷つきながらオレを思う。
 オレは二人を巻き込みながら自傷しただけ。
 亮の言葉は、オレをどこにも逃げられないところに追い詰めた。


 SINCERE 前編


「…藤原くん、藤原くん。大丈夫?」
「…え…?」
 絶望と後悔に打ちのめされている間に、亮はいなくなっていた。
 代わりに、目の前で傘を差し出したのは、鮎川先生だった。
「…なんで…」
「丸藤くんが、自分が殴って怪我をさせたから、様子を見に行ってほしいって。こんなところで濡れていたら風邪を引くわ」
 まるで亮が悪いかのようなその言葉に、亮はどこまでまっすぐなんだろうと頭の隅で思う。下手をすれば誤解されて責められるかもしれないのに、取り繕うようなことを亮はしない。オレは殴られて当然なだけのことをしたのに、それはすべて言い訳と切り捨てたのだろう。
 そんな風に、まっすぐに人を思いやれる彼を、自分は傷つけたのだ。
「…丸藤は…」
「丸藤くんには、一度寮に戻るように言ったわ。…何か、あったみたいね」
 少しだけ困ったように微笑んだ先生が、自分をいたわってくれているのが分かる。
 何か、は、あった。それで悪いのは絶対に自分で、そのいたわりを、どう受け止めていいのか分からない。
「言いにくいなら無理はしなくていいのよ。その怪我も手当てした方がいいわ。とりあえず、保健室へいらっしゃい」
「―ッ」
 気が付いたらオレは、先生に縋りついて泣いていた。
 先生を呼んでくれた亮が、何も聞かない先生が、優しすぎて、だから余計に、今は泣くことしかできなかった。

 * * *

 保健室につくと、パイプイスに座らされてバスタオルを手渡された。その上、わざわざストーブまで出してきてくれる。
 頬の怪我はあっという間に手当てされて、ぼんやりとしているところに、温かい湯気の立つマグカップを差し出された。
「どうぞ」
 にっこりとほほ笑まれて、無言で受け取ると、じんわりとした温かさが手のひらに沁みてくる。
 口をつけてみると、ホットココアの甘さとほろ苦さが広がって、また少しだけ、涙がにじんだ。
「…丸藤くんと、喧嘩しちゃった?」
 咎めるようなところの一切無いその問いかけに、藤原はこくりと頷いた。
「そっか。…丸藤くんのこと、嫌いになった?」
 今度は首を振った。
「そう」
 淡々と、鮎川先生は続ける。
「…仲直りは、できそう?」
 少しだけ考えて、首を振った。
「…無理だよ…」
「どうして?」
 それは純粋に、先を促すためだけの質問。
「だって…オレ、オレが悪いから…」
「どうして、藤原くんが悪いの?」
「………………オレが…」
 オレが吹雪を犯したからです。
 そんなこと、言えるわけがなかった。
 責められるのが怖いから?
 そうかもしれないけど、それだけじゃない。
 それを言ってしまえば、オレじゃなく、亮と吹雪、二人の秘密を告げなければいけなくなるからだ。
 あれだけ二人を傷つけて、それなのにこんな形で気遣われて、もう今度こそ、二人を裏切ったりしたくなかった。
「…オレが、悪いから…殴られて当然だから…」
「誰かを傷つけるのは、どんなときでも当然じゃないのよ?」
 それは多分、亮も思っていることだった。そして、オレ自身にも当てはまること。だから、余計に歯がゆい。
「だけどっ!亮は悪くない、悪いのは、オレで…!」
「それでも、どうして悪いのか、今は言えないのね」
 それは単なる確認。だから、弱々しく頷いた。
「…そう。それじゃ、もう一つだけ質問。…丸藤くんと仲直りしたい?」
 その質問に、頷くことも首を振ることもできずに、絞り出すように言った。
「…できないよ…!」
 ぼろぼろと涙がこぼれて、握りしめたバスタオルで顔を覆う。
 二人が自分の事をどれくらい思ってくれていたのか、今更気付いても遅すぎて、何も知らず壊した罪を、どうやって償えばいいのか分からなかった。
 宥めるように、優しい手のひらが頭をなでた。
「分かったわ。今日はここまでね。落ち付いたら、ゆっくりお休みなさい」


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