七、旅立ち 夜の闇にまぎれて、二人はバルコニーへと舞い降りた。 そこは、王の寝室。 ユベルの腕に抱かれていた王子が降り立つと、気配を感じたのか王が歩み出てきた。 月明かりの下で対面した王の顔は、帰って来た息子に歓喜を見せるでもなく、ただ冷静な、感情の読み取れないいつもの表情だった。 夜を選んだ意味を、王も少なからず察しているのだろう。 「…王子」 「お別れを、言いに来ました」 静かなその言葉に、父はただ黙って先を促す。 「本当なら、ボクはここに帰って、王になるべきなのかもしれません。民たちを導くために。だけどそれはできない。ボクはボクの愛を偽りたくない。その選択に、民を巻き込むわけにはいきません。だからボクは…王には、なれません。だから行くことにしました。ユベルと二人で」 そう言って王子は、ユベルとつないだ手を、もう一度ぎゅっと握った。 我がままでこの国を捨てるなら、誰にも何も告げることなく、姿を消せばいいのかもしれない。けれどこの気持ちを、父には知っていてほしかった―理解してほしかった。 目の前の唇が、苦笑の形で笑った。 「分かっていたよ。そなたに、この城が…この国が狭すぎることは」 王子の瞳が丸く開く。 その言葉は、王子が初めて聞いた王の―父の本音だったかもしれなかった。 そっと歩みよって来た父の目線が、昔見ていたよりはるかに近いことに不意に気づく。 「新しき力ある者は、終わりと始まりの予兆。変化をもたらす者。それが何なのか、そなたが生まれたときには分からなかったが…」 ふと王の視線が、ユベルへと移った。 「ユベル、そなたに初めて会ったときに思ったのだ。この国に、もう王族は必要なくなるのかもしれないと」 「…え?」 「王とは国の化身にして守り人。多くの人を動かせる代わりに、国に自分のすべてを捧げる宿命を背負っている。そのために、人としての感情を封じなければならぬこともある。そのことにそなたは気づいていた。その上で、私と王子の頼みを聞いて尽くしてくれたこと…本当に感謝している。ありがとう」 「王…」 「そなたのような民がいるなら、王の宿命など持たず生まれ、王の宿命を背負う決意ができる者がいるなら、王族は必要ない。自らの国を自らで守ることが、きっとこの国の民はできるようになるだろう。…私とそなたは、この国の最後の王だな」 その言葉に、王子がほんの少し戸惑う。 「…ボク、も?」 「そなたはよくやってくれた。そなたの力で、この国の未来は守られた。例え形式的に王位を継いでいなかったとしてとも、立派に王の行いであったよ。…大きくなったな」 「父上…」 王子の瞳から、涙がこぼれた。王が確かに自分の父なのだと、初めて実感したのだ。 「第十代王子、そしてユベル。この国の王として―この国の父として、私はそなた達を祝福しよう。自由になりなさい。どんなに遠く離れても、この国と民の心は、いつでもそなた達と共にある」 その言葉に、涙をたたえた瞳で二人は頷いた。 すべてを捨てる覚悟でここへ来た。裏切りと、逃げたと言われても仕方がないのだと。 けれど王は、二人にすべてを与えてくれたのだ。二人が選んだ道が決して裏切りでも逃げでもないのだと理解してくれた。 この国を、故郷(ふるさと)と呼んでもいいのだと。 「…さようなら、父上」 「ああ。どうか幸せに」 王子を抱いて、ユベルが羽ばたいて宙に舞う。 遠ざかるその翼が見えなくなるまで、王はただ一人見送っていた。 |